2019年12月4日水曜日

あれから9年も

「あれから9年も」というと渡辺美里の歌声が脳内再生されるほどのおっさんですが、これまでのヴィッセル神戸の歴史の中で、大きなカタルシスを感じる試合、クライマックスの試合というのは2試合しかありません。
一つは2006年12月9日の博多の森、アビスパ福岡との入れ替え戦第2戦。そしてもう一つが2010年12月4日、ちょうど9年前の埼スタ。

今回は、「ヴィッセル神戸あれこれ Advent Calendar 2019」の企画に乗っかって、そのうちの一つ、9年前の試合を振り返ります。

試合当時の僕のブログはこれ。
「奇跡の残留劇とこれから・・・」善福寺乃音

最終節、神戸が残留する条件には勝利が必須。かつ東京が引き分け以下、または仙台が大量失点で敗れるという組み合わせのみ。
こうして書くと神戸だけが非常に厳しい状況に見える。
けれど、降格することはまったく考えていなかった。残留できるという確信があった。
それは、アウェイの新潟で引き分けたときも、大宮で引き分けたときも変わらなかった。ただし、大宮と引き分けたときには東京との一騎打ちだと言う覚悟はしたけれど。
あ、33節の清水戦を勝利したあとで迎えた東京対山形戦、平山のゴールで東京がリードしていた数十分は青ざめていました。この時間帯だけは本当に危ないと思っていた。しかし、田代のゴールで引き分けてからは勢いは神戸のものとの確信が強まった。

試合は結果的に4-0の快勝。ただ、前半は楽なものではなかった。徳重のファインセーブが無ければどうなっていたか分からない。
先制点は相手守備の連携ミスによるこぼれ球からの幸運なゴール。
このゴールの時間帯がとてもよかった。前半をリードして終えることができたのはこういう背負うものが大きい試合においてはとても重要な意味を持つ。
逆に東京はリードされて前半を終えた。...

残留するには神戸の勝利以外に東京が既に降格が決まってる京都に負ける必要があった。あの権田の名言「浦和に期待した…」が生まれた試合。

 でも、なぜかこの試合、降格する気が全然しなかったんだよね。
上にも書いてあるけれど、この試合の直前にはのちに神戸に移籍する田代有三のゴールで東京が山形に引き分けたり、前節清水戦で田中英雄が退場しながらドローに追いついたり、そして小川慶治朗(まだ高校生)と森岡亮太(1年目)の急成長とか前向きなことばかり。
他のサポーターも大体前向きでこんな動画を作った仲間もいました。



そして、この年から僕らが始めたKOBE AWAY PRESS(仮)
これまで200~300人しか人がいなかった関東でのヴィッセル神戸のゴール裏をクリムゾンレッドに染めよう願い、刊行を始めたのですが、なんとその年の最終節に史上はじめてアウェイ席のチケットが完売。
第7号にしてあっさり願いがかなっちゃいました。通常、印刷の最小単位の500部を持ってって、半分以上もって帰ってたのに、なんと増刷して2000部。それでも足りなかった。(現在63号まで発行してて、おそらくまだこの時の部数は破られてない)



で、ようやく本題のこの試合。
浦和の濱田 水輝のミスを逃さず、吉田孝行が先制ゴール!
後半、FC東京がリードされているという情報の中で、慶治朗が抜けだしたところを倒されてPK獲得。

僕ら側のゴールに向かって吉田孝行が立つ。ここがこの試合の一つ目のハイライト。盛り上がるゴール裏。歓喜の追加点。沸き立つサポーター

(当時の残留争いの動画があったのでこれを見れば全部わかります。)


次いで勝利を決定づけるカンジョのゴール。

そして、輝く未来を感じさせた「森岡がドリブルで日本代表坪井をあっさり置き去りにしてからの慶治朗ゴール」。最高の瞬間でした。



ここまで年寄りの思い出話をながながと書いたのはもうこの試合を史上最高のクライマックスとして語りたくないから。
2020年元日にこの試合を超えるような歓喜を期待しています。

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